このページの本文へ
ページの先頭です。

「帰りたいな」って、思える町であってほしい

「帰りたいな」って、思える町であってほしい

雪月風花 福智院 店主/ひろしま食べる通信 副編集長

吉宗五十鈴 さん

2023年1月25日

メインビジュアル

世羅に来て2年くらいは急な環境の変化に泣いたりしていた

世羅を拠点に「世羅高原カメラ女子旅」を主宰したり、食べ物付き雑誌『ひろしま食べる通信』の編集をしたり、テレビでコメンテーターを務めたりと地元愛いっぱいの吉宗五十鈴さん。しかし話を聞いてみると最初はフクザツだったらしく...。

「私は三重出身で松本の大学に進学、卒業後は東京の出版社に勤めてたんです。その時付き合ってた今の夫の実家が世羅の農場で、いつのまにか逃げられなくなって(笑)。あまり深く考えずこっちに来たんですけど、来て2年くらいは急な環境の変化に一人で泣いたりしてました」。

 これまでまるで縁のなかった土地で農業という暮らし。そのなかで吉宗さんは一歩ずつ自分の道を切り拓いてきました。特に面白いのは肩に力が入ってないところ。流れに身を任せてるうちいつのまにか...という感覚は、今や世羅の観光名所になった宿坊カフェ『雪月風花 福智院』のオープンの際も同じでした。

雪月風花 福智院

「この物件はもともと夫が見つけて自分のポケットマネーで修繕してたんです。家族会議もせずに(笑)。でも夫は忙しくなって何もできず。古い家屋は使わないとカビが生えるから、だったら私にやらせてよって」。

「五十鈴さん世羅高校出身よね?」「違う違う!(笑)」

吉宗さんの生き方は基本「やってるうちに道になっていく感じ」。気が付けば広島人になっていて、いつのまにやら世羅愛に溢れていました。

「以前地元の人とお酒を飲んでた時、『五十鈴さん世羅高校出身よね?』って言われて。違う違う! でも嬉しかったですけどね(笑)」。

話す吉宗さん

そんな吉宗さんの地域への想いには吉宗さんの人生が重なります。

「私には中3と小6の子どもがいるんですけど、一度は外に出て広い世界を見てほしいんです。だけどその後、帰りたいなって思える町であってほしい。『あんなところに帰ってもしょうがない』って思われる町にしてしまうのは情けないし、私の力が至らなかったってことでもあるので」

今や世羅こそが「私の町」――風雪を乗り越えた「おかえり」の声が福智院の縁側に響いています。

おしるこなどおもちのメニュー

紹介人物画像

吉宗五十鈴(よしむねいすず) さん

雪月風花 福智院 店主/ひろしま食べる通信 副編集長

三重県出身。2004年、結婚を機に世羅町へ。夫の営む花観光農園で10年にわたり農業や広報に携わる。地域発ツアー「世羅高原カメラ女子旅」主宰。広島の食べものの作り手と食べる人をつなぐ『ひろしま食べる通信』では県内の農業・漁業の現場を訪れている。築170 年の宿坊を修繕した日本茶カフェ・雪月風花 福智院を開業。ひろしまの好きなところは広島弁。「広島の人って情に厚いというか、冷めてる感じじゃないですよね。それが言葉にも表れてるところが好きです。」