お好み焼は「文化」。世界に伝えながら次世代にもつなぎたい
お好み焼は「文化」。世界に伝えながら次世代にもつなぎたい
一般財団法人お好み焼アカデミー
川本和晴 さん
2023年5月25日
実家が突然お好み焼屋に…ずっと生活の中にあった食べ物
知る人ぞ知る、お好み焼の達人。振り返れば人生いつも、お好みがあったといいます。「腐れ縁だけどなくてはならないもの。食べ物としても研究対象としてもおもしろい」。
広島市で生まれ育った川本さんにとって、もっぱらお好みは「土曜日に食べるもの」でした。土曜に学校が半日あった頃、午前中の授業を終え、友達とランチへ。漫画の種類が豊富な店や、カラオケ店近くの店など、3カ所くらいを週替わりで通ったそうです。
知り合いのお母さんの店でよく持ち帰りをしており、そこでの「生地が柔らかくふくらんだ感じ」が実は原体験。
冷めても美味しい、それがお好み焼といいます。
その後もお好みとの縁が続き、なんと学習塾を営んでいたご両親が突如、お好み焼店の経営も始めたとのこと。
「びっくりしたけど、広島の暮らしにはそれくらい根付いているんですよね」。
悔しさから新聞を作った時代を経て「マイスター」に
京都の大学に進んだ川本さんは、歴史学に没頭しつつ、先輩の縁からお好み焼店でバイトを始めました。そのため、「焼き」デビューは関西風だったそうです。
ゆくゆくは広島に戻って、飲食関係の仕事をと思っていたところ、「オタフクソース」に入社することに。
初任地でグループ企業が経営していた店の副店長的な立場となり、いきなりヘラを握った川本さん。客から鉄板の厚さを聞かれて答えられなかったことが悔しくて、厨房用品の資料を全部取り寄せて勉強し直しました。
やり出したらとことんやる性格の川本さんは、歴史や地域性についても学び、手作り新聞を毎月発行するまでに。
その頃蓄えた知識を買われ、開業支援の部署へ。
焼き方を指南する「お好み焼士マイスター」にもなりました。
現在は一般財団法人「お好み焼アカデミー」の事務局も担当。社を越えてお好み焼の文化を伝えることを使命としています。
広島サミットを契機とした取組では、G7各国の食文化を取り入れたお好み焼の開発の取りまとめを担いました。ドイツ焼(下の写真)にはウインナーとザワークラウトとポテト、イタリア焼にはそばの代わりにパスタ。
「お店で作りやすいもの」の開発に腐心したのは、サミット後も、いろんなお好みが末長くまちに根付けばとの願いから。
「多様性と包容力がお好み焼の魅力。広島に根付いた文化を、世界と次世代につなぎたい」。
川本和晴(かわもと かずはる) さん
一般財団法人お好み焼アカデミー
1977年広島市安芸区生まれ。大学入学のため広島を離れるが、卒業後は帰広し「オタフクソース株式会社」へ入社。新人時代にはお好み焼のうんちくを詰め込んだ新聞を自作した。現在は同社お好み焼課シニアスタッフであり、お好み焼店の開業を目指す人たちに焼き方を指導するお好み焼研修センター講師として活動。「お好み焼士マイスター」の資格を持つ。また一般財団法人「お好み焼アカデミー」事務局員も務める。保護犬を飼い始めて連れて出かけるようになり、広島には海から山までいろんな風景や地域の美味しいものがあると再認識中。