広島人の視点生かし、モノトーンからカラフルなまちへ
広島人の視点生かし、モノトーンからカラフルなまちへ
NPO法人ひろしまジン大学 代表理事
広島市立大学 特任准教授
平尾順平 さん
2023年5月25日
就活逃れで向かった海外で気づいた「HIROSHIMA」
わがまちを学び、つながる場「ひろしまジン大学」を13年前に立ち上げた「学長」にこの春、広島市立大学の特任准教授という新たな肩書が加わりました。ジン大に軸足を置きつつ、大学の地域貢献という使命を背負う平尾さんは、学び、つながり、何かを創っていく営みに、複数の角度から取り組みます。
平尾さんにとって市大は実は母校。同校が創立2年目で入り、自分たちの学び舎を自分たちで作るという自由な空気に浸り、休みごとに海外に旅したといいます。
人生の転機となったのは就活のとき。地味なスーツを買い、友達と一緒に企業合同説明会にいったものの、「何か違う」と、会場を後にしました。その後休学し、バックパッカーの旅へ。ある意味、「逃げ」の旅だったそうですが、8カ月で15カ国を周り、「何でもあり」な多様性に衝撃を受けたといいます。
「カラフルな世界を見て、自分の国のモノトーンさに気づいた」。外に出てたことで、故郷広島についても考えるようになりました。
パキスタンに滞在中には、インドとの国境で人々が揉めている現場に遭遇。聞いてみると、両国で核実験が起きたといいます。まさか、と思いつつ、自分の被曝に怯えました。
また、現地の人が、みな「HIROSHIMA」を知っていること、そして被爆からの広島が知られていないことに驚いたといいます。
みんなで学び、考える。「平和なまち・広島」を創りたい
平尾さんの母は、中学の頃、胎内被爆者として被爆者健康手帳を取得しました。自分の中で「ヒロシマ」が重たかったものの、他国が核実験を始める現実のなか、広島は果たして平和都市としてアップデートできているか、モノトーンじゃなくてカラフルなまちか?を考えるようになったといいます。
その後、「広島」を人生の軸に据えようと思い、東京の財団法人で海外支援の仕事に携わった後、30歳で広島にUターン。2010年に「ひろしまジン大学」を作りました。
牡蠣筏の上、田んぼ、商店街、どこだってキャンパス。常に考えているのは「僕たちの広島は平和だろうか」。
被爆都市HIROSHIMAを、平和都市HIROSHIMAに。さまざまなギャップを埋めつつ、大きい平和も小さい平和も、みんなが学びながら主体的に考えるまちを創りたいという平尾さん。
「広島を、平和的なまちのモデルにできたらいいな」。
平尾順平(ひらお じゅんぺい) さん
NPO法人ひろしまジン大学 代表理事
広島市立大学 特任准教授
1976年広島県生まれ。大学卒業後、国際協力、途上国支援の業界にて、東南アジア、中央アジア、中米、アフリカなどの人材育成、教育案件を担当。国外から改めて広島を見つめ直す経験から、広島の魅力と可能性を強く感じ、これからの広島のために自分にできることからしていきたい!との想いでUターン。広島平和文化センターに2年間勤務ののち独立し、2010年5月、ひろしまジン大学を立ち上げ、現在に至る。2023年から広島市立大学特任准教授。