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手が届く範囲で「納得」できる街に。新たな価値で社会を変える

手が届く範囲で「納得」できる街に。
新たな価値で社会を変える

株式会社まちづくり三原 統括マネージャー

泉 太貴 さん

2023年7月25日

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30歳で帰る」の有言実行。自分が動いて得られた実感

「30歳になったら帰ろう」。高校卒業とともに三原を出た親友と誓い合った泉さんは、実際に31歳でUターンしました。「あいつはまだ帰ってこないけど(笑)」。商店街連合会の会長、市街地活性化のための第三セクター会社の統括マネージャー。いくつもの「顔」をわずか数年で持った泉さん。機動力の原点は、ITを学んだ金沢での大学時代にあるそうです。

泉さん

アルバイト情報や履修情報などを満載した学生向けのポータルサイトを立ち上げ、フリーペーパーを創刊。広告営業で地域の会社を回ったり、学生のニーズをすくい上げたりしているうちに「学生が動くと地域・社会が変わる」という手応えを感じたといいます。

卒業後は、大きな舞台で経験を積んで成長したい、と東京の会社に就職。しかし、スピード感の違いから次第にモヤモヤが募り、同期の中国人社員の誘いで中国・湖南省に渡って不動産関連事業を起業。そこでも、大きな市場に魅力は感じたものの、今度は接待漬けの日々に疑問を抱くようになったそうです。

三原のいいものを商品に。手が届く範囲の「納得」求めて​​

​​ちょっと休もうかな、という思いで地元に戻った泉さんは、商店街に関わると「手伝って」と声をかけられるようになりました。そこで、「いいものがたくさんあるのにもったいないな」と感じるようになったといいます。

その後泉さんは、地域の店が提供するさまざまな商品を体験として贈れるサービス「KOTOYA」を仲間と創業。まちづくりを「点」ではなく「面」で進めるには、ちゃんとした立場が必要と感じるようになったそうです。最初は風当たりもありましたが、地元の祭りを手伝ったり、コロナ禍で知恵を出したりして、泉さんは信頼を勝ちとっていきました。

乗馬体験

広島の好きなところは、「チャレンジ精神」だと話す泉さん。イノベーション創出プロジェクト「RING HIROSHIMA」の取組など、失敗してもチャレンジしようという精神が県政にもあると感じているそうです。広島の色と言える赤も、挑戦者のイメージがあるといいます。

話す泉さん

20代の頃は「1000万プレイヤーになる」と語っていた泉さんでしたが、今は、「手が届く範囲のなかで納得できる社会を作り続けていきたい」と考えているそうです。あれもこれも全部、ではなく三原や備後圏域という限られた範囲で、楽しみながら課題に取り組みたい。その結果、街をいい方向に変えることができたらと話します。泉さんは、「やりたいこと×社会課題」のスピリットで、これからも街の魅力を発信し続けます。

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泉 太貴(いずみ たいき) さん

株式会社まちづくり三原 統括マネージャー 

広島県三原市出身。大学でウェブデザインを学び、在学中に学生向けポータルサイトの立ち上げやフリーペーパーの創刊を手掛ける。卒業後は東京で就職したのち、同期社員と不動産関連事業で起業するため中国へ渡る。2017年に三原へUターンし、翌年、仲間とともに(株)KOTOYAを創業。地域の気づかれていない沢山の魅力を発見し世の中へ発信するサービスの提供を開始する。旅行商品の企画・販売、動画やサイトの制作、コンサルティング業など多岐にわたって地域の事業者を支援している。さらに、商店連合会の会長や、(株)まちづくり三原の統括マネージャーを務めるなど、地域の活性化に向けて活動の幅を広げている。