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野球がやりたい!切り拓いた歩み。選択肢ある社会を当たり前に

野球がやりたい!
切り拓いた歩み。
選択肢ある社会を当たり前に

広島県・中四国女子野球アンバサダー
「女子野球」という鍵を持つ人

野々村聡子 さん

2023年12月25日

メインビジュアル

女子には選ぶことができなかった野球。できる場所を探して

中四国女子硬式野球連盟の「女子野球タウン」に認定された三次市と廿日市市を中心に

今、女子野球がじわり盛り上がりを見せている。

連盟主催のルビー・リーグに所属する19チームのリーグ戦を運営したり、女子小学生や中学生を集めて地域で野球教室を開催したりと、女子野球の魅力を伝えるアンバサダーとして飛び回るのがこの人だ。

黒いジャージ姿の笑顔の女性

三原市出身。原風景は旧広島市民球場だった。「強い弱いじゃなく楽しみで」。

だが、女子に野球という選択肢はなかった。「なぜ女子野球はなくてソフトボールだけ?」。そんな疑問が出発点に。関西に女子クラブチームがあると知り、奈良教育大学へ進んだ。

平日は大学の男子野球部で、週末はクラブチームで、野球漬けの日々。女子プロリーグ創設予定だった関係者から誘われ、トライアウトを経てプロになったがケガに泣いた。

​​マウンドで活躍する野球のユニフォーム姿の女子プロ野球選手

プレーできないなら地元に帰ろうと区切りをつけた。

柔道整復師の勉強をしていたこともあり西区の「MSH医療専門学校」へ。

偶然、女子野球部創部のタイミングと重なり、監督に就任。2016年には全日本クラブ選手権準優勝の成績を残した。

​​​誰でも、いくつになっても、スポーツができる環境づくりを

​「笑顔と元気。どうにかしてプレーしたい気持ちが女子野球にはあふれている」。

自身の高校時代5チームほどだったチームは今では全国の高校に50ほどある。

「今思えば、乏しい環境のなかでも思い続けた先輩や私たちが作ってきた歴史かな」。

企業や自治体の熱心な取り組みに加え、スポーツを横断するイベントがもっとあれば、新たなファンもそれぞれ増えると考える。

「野球もサッカーもバスケットボールも、いろいろ盛んなこの広島に、女子野球が当たり前にあったらいいな」。

わが子はまだ保育園育児。子連れで練習や遠征をこなすことが難しく、監督から部長に転向した。でもいつかまた選手と一緒にグラウンドで白球を追いたい、という夢をあきらめていない。

男も女も関係なく、いくつになっても好きなことをやり続けることができる、そんな環境を作っていくことに、力を注ぎたいと思う。

野球のユニフォームやバットが飾ってある部屋でボールとグローブを持つ女性

​ひろしまの好きなところ「人の温かさ」

一言目には「昨日勝ったね」とか、カープから入ってみんなが温かい。接骨院の待合室でも知らない同士のおじさんと女の子がいつの間にかスポーツの話題で仲良くなっています。

公園のベンチに座り野球のグローブをしている笑顔の女性

紹介人物画像

野々村 聡子(ののむら さとこ) さん

広島県・中四国女子野球アンバサダー
「女子野球」という鍵を持つ人

広島県三原市出身。福山誠之館高校ではソフトボール部に所属。奈良教育大学教育学部学校教育教員養成課程保健体育専修に進学し、女子硬式野球クラブ大阪BLESSに所属した。在学中は、大阪BLESSと大学の男子硬式野球部の練習に参加。2009年に日本女子プロ野球機構による第1回合同トライアウトを受験し合格、同年12月のドラフト会議で兵庫スイングスマイリーズから外野手3順目で指名され、加入が決定した。プロ1年目の2010年は、主に代走や守備固めで18試合に出場した。翌2011年は16試合に出場し、プロ初安打を記録する。しかし、同年12月13日、日本女子プロ野球機構より退団。退団後、広島市にあるMSH医療専門学校で女子硬式野球部を結成、監督を務め,現在は育児中のため部長に転向。