共に歩んだカープと広島
印刷用ページを表示する掲載日2020年8月7日
広島の復興への道のりは、カープと共に歩んだ県民の歴史とも言えるだろう。
人類史上初めて投下された原子爆弾によって壊滅した広島の街。75年は草木も生えぬ街だと呼ばれた。ところが被爆から3日後には路面電車が走り、地元の中国新聞も発刊にこぎつけ、広島の人々は動き出した。
その中国新聞に広島発のプロ野球チーム名が「鯉(カープ)」と載ったのは、1949年(昭和24年)9月28日。原爆投下からわずか4年1カ月のことだった。