“永遠の折り鶴”となって世界へ羽ばたく 佐々木禎子さんの折り鶴を金属で再現
印刷用ページを表示する掲載日2021年10月11日
平和記念公園に立つ「原爆の子の像」のモデルとなった佐々木禎子さんは、2歳の時、爆心地から約1.6kmの自宅で被爆。10年後の12歳の時に白血病と診断され、闘病の末に亡くなりました。「鶴を千羽折ると願いが叶う」という言い伝えを信じ、1300羽以上の鶴を病床で折り続けたそうです。2021年8月6日、禎子さんが折った紙製の折り鶴が金属製の折り鶴になって蘇りました。手がけたのは、福山市(広島県)の精密鋳造メーカー「キャステム」。プロジェクトのリーダーを務めた池田真一さんに、製作のきっかけや苦労した点、平和への思いを伺いました。