戦没者追悼式について
印刷用ページを表示する掲載日2025年6月5日
沖縄「ひろしまの塔」戦没者追悼式について
慰霊の目的
広島県では、さきの大戦で国内の戦場化を救った沖縄戦及び、沖縄に近い南方諸地域での広島県出身の戦没者を慰霊するために、毎年沖縄県糸満市に建立されている、「ひろしまの塔」において、追悼式を行っています。
追悼式の沿革
第1回昭和43年5月に、除幕式及び慰霊祭を挙行。
第2回以降昭和47年11月に、沖縄の本土復帰を記念し追悼式を挙行し、これ以降毎年10月または11月に広島県が主催して、御遺族代表の参列のもとに追悼式を行っています。
追悼式の開催日について
令和元年度 令和元年11月15日(金曜日)
令和2年度 令和2年11月9日(月曜日)
令和3年度 中止(新型コロナウイルス感染拡大防止対策対応のため)
令和4年度 令和4年11月15日(火曜日)
令和5年度 令和5年11月14日(火曜日)
令和6年度 令和6年11月15日(金曜日)
令和7年度 令和7年6月5日(木曜日)
令和2年度 令和2年11月9日(月曜日)
令和3年度 中止(新型コロナウイルス感染拡大防止対策対応のため)
令和4年度 令和4年11月15日(火曜日)
令和5年度 令和5年11月14日(火曜日)
令和6年度 令和6年11月15日(金曜日)
令和7年度 令和7年6月5日(木曜日)
戦後80周年沖縄「ひろしまの塔」戦没者追悼式について
80周年の事業として、令和7年6月5日木曜日に、沖縄「ひろしまの塔」前において、ご遺族代表58名と広島県・沖縄県のご来賓に参列いただき、追悼式を執り行いました。

ひろしまの塔について
ひろしまの塔とは
「ひろしまの塔」は、国内の戦場化を救った沖縄戦及び沖縄に近い南方諸地域での広島県出身の戦没者を慰霊するため、当時の広島県知事及び広島県議会議長を世話人とする広島県戦没者沖縄慰霊塔建設委員会によって募金活動が行われ、昭和42年9月14日に建設に着手し、昭和43年5月23日に完成しました。
その後、昭和44年4月30日に広島県が寄付を受け、管理を行っています。
その後、昭和44年4月30日に広島県が寄付を受け、管理を行っています。
所在地 沖縄県糸満市米須嵩下原
敷地面積 1,594.2平方メートル(約480坪)
設計・作成者 円鍔勝三先生(文化勲章受章,名誉県民)
塔石及び石材 倉橋産の御影石
玉砂利 太田川産の玉砂利
敷地面積 1,594.2平方メートル(約480坪)
設計・作成者 円鍔勝三先生(文化勲章受章,名誉県民)
塔石及び石材 倉橋産の御影石
玉砂利 太田川産の玉砂利
概要
設計者圓鍔勝三先生の「ひろしまの塔」設計構想
ア 全体を沖縄県の古い民家に見受けられる塀[ヒンプン(外敵を防ぐため)]からヒントを得て近代的構想とし、塔本体を郷土広島県に向けることにした。
イ 中央3本の黒御影石の柱は、国の御盾となられた英霊の御柱を意味するようにした。
ウ ヒンプンは、広島県倉橋産の石を用い、線彫の鉄兜2個を沖縄県の県花デイゴの花や仏桑華の花、広島県の県花もみじ、そのほか菊、蓮の花、勾玉で護り、厳島神社の国宝・平家納経を連想するようにした。
エ 副体には、残された子供達が太陽に向かって、永遠の平和を祈り、英 霊の魂が金色の鳥となり、空高く昇天する情景を表現した。
オ 献花台の地下には、34,600余柱の英霊に思いを寄せ、各ご遺族からお名前を記した霊石をお納めするようにした。
カ 本体下部そのほかの玉砂利は、郷土の思い出深い太田川の砂利を使用し、 英霊のご冥福をお祈りする意味を表現した。
塔に合祀されている戦没者
先の大戦において、沖縄及び南方諸地域で戦没された広島県出身者34,635柱。
・フィリピン 9,988柱
・東部ニューギニア 9,165柱
・ビスマーク・ソロモン諸島 8,841柱
・ミャンマー・インド 1,462柱
・沖縄 1,271柱
・ベトナムなど 3,908柱
(地名は戦没された地域を表しています。)
・フィリピン 9,988柱
・東部ニューギニア 9,165柱
・ビスマーク・ソロモン諸島 8,841柱
・ミャンマー・インド 1,462柱
・沖縄 1,271柱
・ベトナムなど 3,908柱
(地名は戦没された地域を表しています。)
合祀名簿について
昭和60年に戦後40周年を記念し、作成、奉納されました。
戦没者の本籍市町村ごとに、1)陸・海軍の別,2)氏名,3)戦死年月日を記載しています。

