早瀬大橋(はやせおおはし)
諸元
路線 | 一般国道487号 |
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所在地 | 呉市倉橋町~江田島市大柿町(早瀬瀬戸) |
完成 | 昭和48年10月28日(供用開始) |
橋長 | 623.5m |
最大支間長 | 222.0m |
設計荷重 | 1等橋 TL-20 |
上部工形式 | 3径間連続下曲弦プラットトラス橋 |
最大構高 | 30.0m |
有効幅員 | 9.5m |
車道幅員 | 5.5m |
歩道幅員 | 3.0m |
桁下高さ(航路) | 36.0m |
塗装色 | レタスグリーン |
管理者 | 広島県 |
トラス橋の可能性を広げた我が国初の大ブロック架設
昭和36年の音戸大橋開通により,早瀬瀬戸を挟んだわずか300mほどの対岸である倉橋島までが本土と陸続きとなっていた。このことは江田島の島民に大きな刺激を与えることとなり,早瀬架橋への機運が高まりを見せた昭和38年には全国的にも珍しい「10円募金運動」にまで発展し,これにより集まった金額は300万円にも達したとされる。
こうした地元島民の強い熱意に支えられ,昭和42年より広島県は,島の本土化による民生の安定と開発促進の効果による産業経済の発展を目的として,国庫補助による早瀬大橋架橋事業を開始した。
早瀬瀬戸は,音戸ノ瀬戸と並び安芸灘と呉港を結ぶ重要な航路として,3000t級の大型船舶をはじめ海上自衛艦や小型船舶が一日平均400隻航行しており,航路高36m以上,航路幅200m以上を確保することが求められた。
これを満足しうる橋種として,構造安定性・経済性・施工の確実性・走行性のほか,瀬戸内の景観にも調和するよう配慮し,主橋梁に3径間連続トラスを採用した。このことから,渡海部の橋脚は海中に設置することとなったため,ニューマチックケーソンによる築島基礎を採用した。
このうち倉橋島側の3P橋脚では堅固な岩盤が露出していたことから,岩盤の掘削は行わず,海底面を無線による水中無人ブルドーザ(ラジコンブルドーザ)を初めて導入して均すにとどめた。また,岩盤に合わせたセルを陸上で製作し,これを入歯式にはめ込むという,世界でも珍しい工法を採用した。
上部工の架設は,トラッククレーンとトラベラクレーンによるカンチレバー架設で施工する計画であったが,閉合時期が季節風の強い2月~3月となる見込みであったため,工程を短縮し施工の危険性を排除することを目的に,一部をフローティングクレーン船で施工することを検討した。
その結果,渡海部の2か所の橋脚上にあたる中間支点部について,トラス橋としては我が国初となる大ブロック架設工法を採用した。
大ブロック架設の効果により工事全体で約2か月の工期短縮と架設工事費の低減が図られ,中央径間の閉合は季節風が本格化する前の昭和48年2月13日に完了した。
最終ブロックの閉合式では,我が国で初めて金のボルトを使用するという,当時としては斬新で粋な試みも行われている。
早瀬大橋で初めて試みた,トラス橋での大ブロック架設の技術は,その後に広島県が架設した蒲刈大橋や豊浜大橋の建設において,トラス橋での大ブロック一括架設へと継承されていったのである。
受賞履歴
- 昭和48年度全建賞(道路部門)
パンフレット
位置図
アクセス情報
バス
- JR呉駅より広電バスにて,田原経由・藤の脇行き「早瀬大橋」バス停下車,徒歩約1km
お車
- 広島呉道路(クレアライン)呉ICより,約17km,約40分
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