4-3 賃金や退職金と,使用者が労働者に対して有する債権と相殺できるか|労働相談Q&A
4-3 賃金や退職金と,使用者が労働者に対して有する債権と相殺できるか
質問
我が社の従業員が不注意により会社の商品を壊してしまったので,来月分から賃金の一部を支払わずに,その分の弁償に充てようと考えていますが,このようなことは労働基準法上,可能なのでしょうか。
回答
<ポイント!>
- 判例によると,労働者のミスなどにより発生した損害に対する賠償請求権と賃金債権とを,使用者が一方的に相殺することはできません。
- ただし,労働者の同意がある場合には,賃金債権を相殺することができるとされています。
賃金の全額払いの原則
使用者は,労働基準法第24条第1項の規定に従い,賃金の全額を労働者に支払わなければなりません。これが,「賃金の全額払いの原則」と呼ばれるものです。
ただし,これには例外が定められており,
- 所得税の源泉徴収や社会保険料など法令に別段の定めがある場合,
- 労働者の過半数で組織する労働組合又は労働者の過半数を代表する者との書面による協定(賃金控除協定)がある場合(代表的な例は,社宅の家賃,労働組合費など)
は,賃金の控除が認められています。
損害賠償請求権との相殺
それでは,使用者が労働者に対して有する損害賠償請求権を理由として賃金の控除をすることは,「全額払いの原則」に反するのでしょうか。
使用者が弁償金の支払いを請求する権利と,労働者が賃金の支払いを求める権利を,同じ金額でもって互いに消滅させることを,法律的には「相殺(そうさい)」といいます。
学説は,相殺は,民法に根拠があることなどを理由に,労働者が不注意などによって使用者に損害を与え,使用者がそれを原因とする損害賠償請求権を持つ場合には,賃金との相殺も許されるとする説と,賃金は労働者にとって重要な生活保障手段であるなどの観点から,損害賠償請求権との相殺は許されないとする説とが対立しているようです。
この点,最高裁は,「労働者の賃金は,労働者の生活を支える重要な財源で,日常必要とするものであるから,……使用者が労働者に対して有する債権をもって相殺することも許されないとの趣旨を包含するものと解するのが相当である。このことは,その債権が不法行為を原因としたものであっても変わりはない。」と判示し,使用者による一方的な相殺は許されないという見解をとっています(日本勧業経済会事件・最大判昭和36年5月31日など)。
同意がある場合は相殺も可能
「使用者による一方的な相殺」は許されないとのことですが,相殺について労働者の同意がある場合は,どうなのでしょう。
学説では,「労働者の真に“自由な意思”に基づいた同意があったことを確定することは困難である」ことなどを理由に,否定的に解する立場がありますが,判例は,使用者が労働者の同意を得て行う相殺については,労働者の完全な自由意思に基づいたものであると認めるに足りる合理的理由が客観的に存在することを要件として,全額払いの原則に反しないと解釈しています(日新製鋼事件・最二小判平成2年11月26日)。
こんな対応を!
御質問の事例では,賃金控除協定に損害賠償額を控除できる旨の規定があれば,賃金との相殺が可能となります。もし協定がなければ,原則として相殺をすることができません。ただし,上記の判例の立場に立てば,協定がない場合も労働者の真意に基づく同意があれば相殺が可能となります。
従業員本人と話し合いの上,相殺について同意を得る際,「本人の真意に基づく同意」がなされたことを証明するためにも,その旨を書面に残しておくことが必要でしょう。間違っても,労働者に対して,威圧的な態度に出たり,脅迫まがいの言動をもって,同意することを無理強いするなどといったことがないように,十分に注意しましょう。
それでは相殺ができるとして,相殺額(賃金から控除する額)に限度はないのでしょうか。労働者の同意に基づく場合には(本人が納得しているのですから)限度はありません。これに対して,賃金控除協定に基づいて労働者の意思に関係なく相殺する場合は,賃金額の4分の3(ただし,その額が政令で定める額(現在は33万円)を超えるときは33万円。ただし,退職金についてはこれは適用されず,額が多くなっても,常に4分の3です)については控除できないこととされています(民法第510条,民事執行法第152条参照)。言い換えれば,原則として,賃金額の4分の1を超えて控除することはできないということです。
更に詳しく
賃金の支払に関する原則
「賃金支払の原則」のページを参照してください。
前借金との相殺
先にも述べたように,労働基準法第24条第1項において,「賃金の全額払いの原則」が定められていますが,これとは別に,同法第17条は,前借金と賃金とを相殺することを禁止しています。
この趣旨は,金銭の貸し借りの関係と労働契約の関係を完全に分離することにより,金銭を貸していることを理由にその身分を拘束するという弊害を防ごうというものです。
ただし,「労働することを条件としない前貸の債権との相殺」は認められており,行政解釈によって,「使用者が労働組合との労働協約の締結あるいは労働者からの申し出に基づき,生活必需品の購入等のための生活資金を貸し付け,その後,この貸付金を賃金より分割控除する場合においても,貸付の原因,期間,金額,金利の有無等を総合的に判断して労働することが条件となっていないことが極めて明白な場合には,労働基準法第17条の規定は適用されない。」とされています。
前借金との相殺を別途定めることの意味は,前借金相殺に関しては例外を許さないという点と,罰則がより重い(労働基準法第119条,第120条)という点にあります