この古代たたら跡は、庄原市濁川町で昭和61(1986)年に発掘調査が行われた、戸の丸山製鉄遺跡の製鉄炉を移築したものです。
たたら製鉄は、主に砂鉄を原料に、木炭を燃料として土製の炉で鉄を作る製鉄法です。
この製鉄遺構は、山の急斜面を削って造った約7.5m×5.5mの平坦面にあり、平坦面の中央に製鉄炉を、そこから両側に馬蹄形状の溝を造っています。
製鉄炉は、78cm×55cm、深さ25cmの隅丸長方形の炉穴に木炭粉を混ぜた黒色土を埋め、その上に薄く砂をまいて、炉底としていました。炉底からは最後の操業の時残された炉内残留滓(ろないざんりゅうさい)も出土しました。また、穴の上半や内側は焼けて、赤くなっていました。
炉穴の上には、「長方形箱形炉」と呼ばれる土製の炉が築かれていたものと思われます。
戸の丸山製鉄遺跡は各種の年代測定法や形態から古墳時代後期(6世紀後半頃)と推定されています。