【サイズ】
本紙 26.8cm×46.1cm,軸 111.5cm×57.5cm
【解 説】
- 近世城郭の石垣を築いた職人というと,穴太衆(あのおしゅう)が全国的に有名である。
中世にも,そして地方にも石垣職人は存在したが,その存在を史料によって確認することは,難しい。
そのような中,中世の広島県域で活躍したことが史料的に確認できる石垣職人が,この史料に登場する「中村方」である。
- この史料は,とある年の八月に,戦国大名の毛利輝元が叔父の吉川元春に宛てた手紙である。
「洞春寺(とうしゅんじ)(毛利輝元の祖父の毛利元就の菩提寺)が「石組」をお命じになった。そこで,「中村方」を派遣するよう言ってきたので,申し入れる。御承諾くださるとうれしい」という内容である。
- このことから,「中村方」とは,「石組」の工事を行う職人集団と考えられる。
また,毛利輝元が吉川元春に派遣を依頼していることから,「中村方」は吉川氏と関係を取り結んでいたことが知られる。
- この史料の年代や「中村方」の正体については,「中世文書を読む(3)」で解説しているので,そちらを御覧いただきたい。
- なお,この史料は,現在,掛軸(かけじく)の形に仕立てられて鑑賞しやすくしてあるが,元々は「折紙(おりがみ)」という形で作成された手紙である。
「折紙」とは,横長の用紙の下半分を上側に折り返してさらに細長い用紙としたものである。
そして,右側から文字を縦書きしていき,左端まで達すると左端をもって右側にひっくり返し,続きを書いていった。
したがって,用紙を広げると,上端と下端から真ん中の折れ目に向けて文字が並んでいる。
軸装にする際は,この真ん中の折れ目で半裁し,下半分の上下をひっくり返すのである。
【参考文献】
『広島県立歴史博物館 研究紀要』第3号(1997年)