【サイズ】
本紙 310cm×280cm,一舗(仮表装)
【解 説】
〇「菅太中(=茶山)蔵」と書かれており,菅茶山が所蔵していたことが分かる。彼が所蔵した地図のうちで最も大きな資料でもある。
〇手書の備後国絵図で,郡ごとに色分けがされ,主要な街道には一里塚を示す「:」のマークが付けられていて,ここから縮尺はほぼ六寸一里(1/21,600)で作成された地図と分かる。
〇また,江戸時代前期に開かれた松永村と干拓地が描かれていないことから,同村が開かれた1670年頃よりも古い情報を記した地図と見られる。
〇縮尺や地図情報の年代から,この地図は,幕府が諸藩などに作成を命じて提出させた,「正保の国絵図」のうちの備後国絵図と推定される。
〇図中,村ごとに石高が記されているのも,正保の国絵図の特徴である。
〇正保の備後国絵図は,広島藩が絵図元(製作責任者)とされていて,福山藩領の図は水野氏の福山藩から情報を提供されたものと見られる。
〇江戸時代中期から後期にかけて生きた菅茶山にとっても,この地図は,百年以上前の「古地図」だったことが知られる。
〇なお,本図の入手経路は不明である。
【参考文献】
展示図録『菅茶山とその世界2』広島県立歴史博物館(1998年)
川村博忠著『国絵図』吉川弘文館(平成8年)