幕末の文久元年(1861)8月4日,広島藩領を台風が襲い,藩領西部の佐伯郡や広島城下を中心に暴風雨・高潮による大きな被害が発生した。
広島藩医を務めた佐伯郡草津村(現広島市西区)の医師小川清介(1838~1905)が記した回想録「おいのくりこと(老いの繰り言)」には,この時の被害の様子が記されている。
藩医の小川清介は,当時広島城下の東引御堂町(現広島市中区胡町・銀山町・堀川町一帯)に住んでいたが,鐘・太鼓を鳴らす音を聞き,何ごとかと思っているうちに高潮が竹屋新開の堤防を越えて浸水し,城下を襲った。流川へも潮が溢れ込み,家中屋敷一帯も「股ヲ没スル位」まで浸水したと記している。
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