明治7年(1874)8月21日(旧暦7月10日),暴風雨により,広島県内では洪水や高潮が発生して甚大な被害を受けた。
広島藩水主方の藩士であった桑原家の日記には,広島市中での被害の様子が記されている。突然の「大水」により,人も物も流され,本川橋が落橋,本川河口の龍川が決壊し,吉島新開の土手も破られて水が入り込んだと記している。
「正集記」は,佐伯郡地御前村(現廿日市市)の砂吉屋兵三郎(砂田家)が幕末から明治にかけての世情を記した記録。この中にも,明治7年の豪雨被害の記述がある。
地御前村では死者5名,破船9艘の被害があり,また,広島藩内全域での死者は1373名にものぼったと記している。
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