江戸時代の都市には,町家を所有する「家持」人をはるかに上回る数の借家人が居住していました。17世紀後半の備後国御調郡尾道町では,家持人のおよそ2倍にあたる借家人が住んでいたとされています。借家人が家を借りる際には,今日の保証人にあたる請人に頼み,「借屋請状」を家主に提出していました。
一方,都市の「家持」人の中でとくに有力な者は,町年寄などの役職に就き,町行政の担い手となっていました。広島城下では,各町に1名の町年寄が置かれ,数町を1組として各組に1名の大町年寄が置かれていました。城下の有力町人たちは,町年寄・大町年寄といった役職を務めると共に,綿改所や相場会所といった広島藩の諸機関への勤務も命じられていました。
「家持」人に対しては,様々な租税負担が課せられていましたが,それらは表間口の長さに応じて課税されていました。そのため,都市の町家の構造は,間口が狭く奥行きの長い短冊型の構造となるのが一般的でした。また,自宅内に新たに建物を増築する際には,その都度,居住する町の町年寄に出願の届け出を行っていました。
ここでは,それら江戸時代の町家に関する古文書を取り上げてみます。
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