海城(かいじょう)家は,江戸時代中期から幕末まで,安芸郡熊野村で代々組頭や庄屋といった村役人を勤め,明治維新後は熊野村の少長や大組惣代などを歴任しました。
この文書は,海城家が村役人を勤める際に受けた「辞令」を貼り継いだものです。開いている部分は,寛保3年(1743)に,熊野村組頭の彦右衛門が病気のため退役し,代わりに子の幸八がその跡役に就任することを,代官等から認められたときの「辞令」です。
申渡ス覚
熊野村与頭彦右衛門忰
一、 幸 八
其方儀、親彦右衛門病身
ニ付、願之通役義差免候、
右代り与頭役申付候条、
念入相勤可申者也
池谷三郎左衛門 印
亥
五月
西川文右衛門 印
藤川次右衛門 印