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秋の企画展 守屋壽コレクション受贈記念「京・江戸・長崎~近世・海の旅と憧れのまち~」ニュース

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関東大震災で焼失した清朝御物の写本を発見!!
 
関東大震災時に焼失した「海洋清晏図(かいようせいあんず)(中国・清朝の御物(ぎょぶつ)(=皇帝の私有品)と伝えられる)の写本を守屋壽コレクションの中から発見しました。

 

守屋壽コレクション 「琉球国図」 中国・清朝の御物(ぎょぶつ) 「海洋清晏図(かいようせいあんず)
出典:永山時英「対外史料美術大観」(1918)
(※御物=皇帝の所蔵品)
琉球国図 海洋清晏図
  • 縦52.7cm×横822.2cm
  • 上海の港から長崎の港までの航路を描く
  • 作者として焦秉貞(しょうへいてい)(清朝の画家)の署名がある。(真偽不明)
  • 長崎(上の写真)には唐人(とうじん)屋敷(1689年設置、中国人居留地)があるが、新地(しんち)(1702年設置、積荷の倉庫用に築かれた人工島)は描かれない。
  • 縦55cm×横909cm
  • 上海の港から長崎の港までの航路を描く
  • 清朝の康熙帝(こうきてい)が1700年代初めに、日本に関する正確な情報を得るために派遣した役人の報告書のまで一つと考えられる。
  • 1900年代初頭の清朝末期の混乱の中、日本に運び込まれ、東京帝国大学図書館が所蔵していた。1923年の関東大震災に伴う火災で焼失した。

  「海洋清晏図」は、江戸時代が始まって100年ほど経った頃の日本と中国の貿易の様子を描いた中国側の一級絵画資料として1900年代初頭において、とても貴重な資料でした。
 また、長崎の町を描いた資料としても古いものの一つでした。
  しかし、大正12(1923)年9月1日に発生した関東大震災で焼失し、現在は大正時代に書籍に掲載された白黒の写真で確認することしかできません。
  ところが、台湾の日中史研究者である劉序楓(りゅうじょふう)氏らの調査によって、「琉球国図」に描かれた内容が「海洋清晏図」とほとんど同じであることが判明しました!
  「琉球国図」は製作の時期や目的などが不明ですが、失われた近世の日本交流史を物語る資料を補う貴重な資料です。
  秋の企画展で公開されますので、この機会に是非御覧ください!!


 
  →守屋壽コレクションについて
  秋の企画展 守屋壽コレクション受贈記念「京・江戸・長崎~近世・海の旅と憧れのまち~」について

 

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