福山城が築城される以前,中世に栄えた瀬戸内の港町である草戸千軒町遺跡の発掘調査は,中世考古学の先駆けとして,町や人々の姿を明らかにするとともに,新たな歴史像の構築に大きな役割を果たしてきました。
中世の人々の暮らしぶりを示す数多くの出土資料の中に木簡があります。記された文字を読み解くことで,「いつ,どこで,だれが,なにを,どのようにした」という人々の営みを,うかがい知ることができます。
今回,代表的な木簡を一堂に展示し,木簡の果たした役割を始め,商い・遊び・祈りなど,人々の生活や社会・文化の諸相を紹介します。
あわせて,広島県内から出土した主要な木簡も展示します。
令和2年10月に,日本最大級の古地図を核とする歴史資料群「守屋壽コレクション」が当館に寄贈されました。
これまでの寄託資料1,226点に,新たに124点が加わり,内容は更に充実しています。
今回は,追加の新資料を中心に展示を構成し,人々が憧れを抱いた近世の特色のある三つのまちの魅力に迫ります。
(→守屋壽コレクションについて)
近世には街道や航路が整備され,社会の安定に伴って多くの人々が旅へと出かけました。瀬戸内海地域では,西国街道など陸路だけでなく船旅も盛んに行われました。
「東海道五十三次図巻」(部分) 江戸時代前期頃
「東海道」というタイトルのとおり,江戸を起点とした陸路である東海道と宿場町が描かれています。
しかし,その後には長崎までの西日本の航路図も描かれています。
この資料を通して,江戸時代にどのような道が使われていたのかということを見ることができます。
また,江戸では春の景色が描かれ,西に行くほどに夏,秋,冬と季節が移り替わっている点も見どころの一つです。
写真の図は,長崎の海路図で,季節は冬です。
平安時代以来,都が置かれた京は,由緒ある寺社や祭りなど名所・名物が多く,今でも人々を魅了しています。今は姿を消した二条城の天守閣や豊臣氏建立の方広寺なども,江戸時代には京の名所として有名でした。
本章では,江戸時代に刊行された名所案内書「宝永花洛細見図」を中心に紹介します。
「祭礼屏風のうち祇園祭図」 江戸時代
毎年,旧暦の6月に開催される祇園祭の様子を描いた屏風です。
京の市中を練り歩く山鉾が描かれています。
山鉾の鉾頭(ほこがしら)を見ると,長刀鉾(なぎなたぼこ)や月鉾が描かれていることが分かります。
山鉾の周囲には,祇園祭を見物する人々の様子も描かれています。
江戸幕府開府以来,「将軍のお膝元」として政治の中心地であった江戸は,当時,世界最大規模を誇る都市でした。
巨大な橋や大名屋敷,大勢の人々で賑わう町の様子は,浮世絵などで紹介され,名所となっていきました。
「江戸全図」 鍬形けい(※草かんむりに惠)斎画 江戸時代
隅田川の東,亀戸(かめいど)付近から眺めたように描かれる鳥瞰図(ちょうかんず)です。
鳥瞰図とは,高いところから地上を見下ろしたように描いた図のことを言います。
富士山と相模大山を背景に江戸の町を描いています。
図中の各所には,名所や寺社名などが小さな文字で記されており,江戸の名所案内図でもあります。
幕末に改版も出されており,江戸鳥瞰図の代表的な作品です。
江戸時代の長崎は対外貿易の窓口で,オランダ人や中国人が滞在していました。
長崎では,彼らから文化や学問を取り入れて,独特の国際的な文化が花開き,医学や天文学など,先進的な知識を求めて全国から医者や学者が訪れました。異国情緒漂う町は庶民にとっても憧れの地でした。
〔初公開!〕「長崎港図」 川原慶賀(かわはらけいが)画 19世紀前半
この画は,長崎の出島付近から長崎港を望んだ景観を描いています。
長崎に出入りする船の様子が詳細に描かれています。
描いたのは,江戸時代後期の長崎を代表する川原慶賀です。
彼は,シーボルトのお雇い画家として数々の記録画を残したことでも知られています。
「琉球国図」
この資料に関する紹介とニュースはこちらを御覧ください。
☆県立広島大学地域連携センター制作の秋の企画展の紹介動画を,YouTubeに公開しました!(R3.11.13)
各章ごとの動画で,5本立てになっています。
→#1 第1章 「近世の旅と絵図」
→#2 第2章 「千年の都 京」
→#3 第3章 「百万人都市 江戸」
→#4-1 第4章 「異国情緒の町 長崎」
→#4-2 第4章 「異国情緒の町 長崎」
☆福山市鞆の浦歴史民俗資料館とコラボしました!(R3.11.12)
資料館の特別展と当館の企画展を観覧された方に記念品をプレゼント!!
山陽自動車道は,山陽地方を東西に貫く高速道路で,兵庫県神戸市北区を起点に,岡山県,広島県を通り,山口県山口市(山口JCT),及び山口県宇部市から下関市へ至る高速道路です。
この山陽自動車道建設に先立って広島県内で行われた発掘調査は,昭和56年(1981)から平成3年(1991)までの11年間で,60か所にのぼります。当時は個々の遺跡がクローズアップされることはありましたが,11年間の発掘調査がまとめられたことは,これまでありませんでした。
最後の発掘調査が行われて,およそ30年。当時はよく分からなかったことが明らかとなり,また,同じような事例が増えて当時の説が補強されるなど,研究が進みました。
そこで,今回の展示では,多くの遺跡の発掘調査から明らかになった広島県の歴史を,最新の研究成果とともに,紹介します。