江戸時代、商家の商業活動が「家業」と認識され世襲されるようになると、大商家では、蓄積した家産を維持して家を存続させ、将来の繁栄を願って「家法」を作成し、子孫に伝えるようになりました。
「家法」は商家の基礎を築いた初代や、家勢の興隆をもたらした「中興の祖」と呼ばれる当主によって作成されることが多く、成功するまでの過去の経験や、苦労から得た経営理念、生活信条などを箇条書きにしました。
ここに掲載した古文書は,広島城下京橋町(現広島市南区京橋町)の保田家文書(屋号は縄屋)に残されている竃・台所に関する家法です(年代は不詳)。
箇条書きの最初に出てくる「くど所」とは,竃(かまど)のことです。人の生命を左右する食物を煮炊きする竃は神格化され,竃神が祭られることも多かったのです。竃神は火や食物の守護神であるとともに,家族を守る神として一家の盛衰をつかさどるといわれました。このため,多くの使用人を抱える商家では,竃の取扱いに関する家法が作られたのです。ここに示した家法には,竃を浄めることや毎朝新火を用いること,掃除の際に留意すべきこと,食事では無駄話や口論しないことなどを厳しく取り決めています。