広島の伝統工芸
広島の伝統工芸
広島は、南は多数の島々が点在する風光明媚な瀬戸内海に面し、北は緑多くなだらかな中国山地に抱かれ、四季の変化に富んだ気候に恵まれています。
この豊かな自然のある広島の地で育まれ、伝えられ、受け継がれてきた様々な伝統工芸品、また天然の素材を用いた、職人による手作りの製品は、人々の暮らしに温かさと潤いをもたらします。
時代時代の職人によって磨き上げられ、その時代の人々が日常に使うものとして変化はしてきたものの、職人の確かな技術と細やかで地道な作業は、広島の山なみ島なみの如く、今もなお連綿と続いています。
・熊野筆
・広島仏壇
・福山琴
・川尻筆
・銅蟲
・三次人形
・備後絣
・広島針
・広島漆芸
熊野筆
(熊野筆伝統工芸士会)
熊野筆®の起源は18世紀末(江戸時代末期)にさかのぼります。農閑期になると農民が出稼ぎに行き、近畿地方から筆や墨を仕入れて山陽道で行商をしながら帰ってきていました。その後熊野に筆づくりが伝えられ、次第に熊野でも筆づくりが盛んになりました。
1975年には国の伝統的工芸品に指定され、技術や伝統が現在へ受け継がれその技術を生かした画筆や化粧筆などの様々な筆が熊野町内で生産されています。熊野町には現在住民約24,000人のうち、約2,500人が筆づくりに携わっていると言われています。町が産地として一つになって筆づくりに取り組んでおり、今では日本一の筆の産地です。
毛を選別して、不要な毛を間引きながら、様々な毛を丁寧にそして均一に混毛して、穂首を作るという一連の工程は、熟練の職人による手作業で行われています。一本一本の毛の先まで神経を尖らせた、美しいものづくりが熊野筆®を支えています。とりわけ、「伝統工芸士」の技術には目を見張るものがあります。「伝統工芸士」とは、工芸品づくりの高い技術と長い経験をもつ人です。現在、15名の熊野筆伝統工芸士が経済産業大臣から認定されています。
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- 熊野筆事業協同組合 (kumanofude.or.jp)(外部ページ)
広島仏壇
(広島宗教用具商工協同組合)
広島仏壇の七つの製造工程に携わる、七匠(ななしょう)と呼ばれる伝統工芸士らの技の粋が集まった作品。塗りの技術に定評があり、金箔押しの技術にも優れています。漆の黒艶の重厚さは風格とおちつきをもたらし、黄金箔のあたたかさはおだやかな気持ちへといざないます。また繊細な彫刻は和の美しさを感じさせてくれます。
昭和53年に伝統的工芸品(経済産業省)に指定されました。
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宮島細工(宮島彫り・杓子)
(宮島細工協同組合)
宮島彫りは江戸時代後期、甲州(現山梨県)出身の波木井昇斎によって宮島に伝えられたとされています。
木材の素地を生かした彫刻で、栃や欅、桜などが多く用いられ、ろくろ成形による盆や菓子器、刳りの技法で作られた角盆、指物などの芸術的技巧を凝らした宮島細工を素地として彫刻を施し、さらに付加価値を高めるものです。
杓子は1790年頃に宮島在住の修行僧である誓真が町の土産物として考え、作り方を教えたと伝えられています。明治半ば頃からは日常品としても関西方面へ出荷。その材質の選び方と技術の巧妙さ、琵琶を模した形の優しさに加え、臭気がなく飯粒がつきにくいと言われ、品質の良さで日本一の生産量を誇っています。
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福山琴
(福山邦楽器製造業協同組合)
福山市は全国有数の琴の生産地です。福山で琴の生産が始まったのは、江戸時代(1603~1868)初期。最高級の桐材を用いて伝統工芸士が琴を作り、その優雅さと美しい音色が高く評価されています。
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川尻筆
(川尻毛筆事業協同組合)
2014年グッドデザイン賞受賞。川尻筆は、呉市川尻町で作られており、江戸時代末期に上野八重吉が製造したのが始まりとされています。京筆の流れを汲み、しなやかな切っ先は、草書・かな・日本画の精密画などに適しています。
「練り混ぜ」という毛混ぜの技法が一般的で、最初から最後まで一人の職人が制作し、大量生産には向きませんが、反面、高度な技術を必要としていることから、出来上がった製品は高い品質の筆となります。
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- 川尻毛筆事業協同組合 - 川尻町西の協会/組織 (business.site)(外部ページ)
一国斎高盛絵
(金城一国斎)
日本の漆工芸の中で、類例の少ない独特の技法を用いる「高盛絵」。漆器、木地製品を素材として、花・昆虫等を漆で高く立体的に盛り上げ色漆で彩色する、180年以上続く伝統工芸です。繊細に描かれた植物や昆虫の今にも動き出しそうな躍動感。色彩豊かで、装飾された金や銀と共に輝く漆の光沢。絵画的なやわらかさと、彫刻的な重厚さが同時に表現できる点に特徴があり、一子相伝の伝承法により代々受け継がれています。歴代一国斎の作風を受け継ぎながらも現代の七代一国斎の作品は、四季の花鳥風月を見事に表現しています。広島が国内外に誇る匠の銘品です。
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- 金城一国斎 公式ホームページ (ikkokusai.com)(外部ページ)
銅蟲
(有限会社伊藤久芳堂、株式会社 光)
江戸時代初期に広島藩主浅野公に仕えた銅細工師の佐々木伝兵衛が仕事熱心なあまり、「銅の蟲(むし)」と呼ばれたことに由来します。 銅板を槌(つち)で叩いて整形し、表面に「ツチ目」模様を施し、わらで燻(いぶ)して磨き上げたもので、時代を経るほどに一層深い色としぶい光沢を帯びてきます。
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三次人形
(丸本 垚)
江戸時代から作り始められたと伝えられ、粘土を焼成し、彩色したもので、独特のつやがあり、別名「光人形」と呼ばれています。
菅原道真をモデルとした天神さんを中心に、男物、女物、その他の人形(約140種類ある)で構成され、初節句に三次人形を贈り、子どもの成長を願う風習が三次地方を中心とした広島県北一帯で江戸時代から広く行われ、現在に至っています。
宮島御砂焼
(対厳堂)
宮島御砂焼の始まりは江戸時代(1603年~)まで遡ります。この時代、安芸の国(現在の広島県西部)の旅人は、厳島神社御本殿下のお砂を道中安全のお守り(お砂守り)としていただき旅に出ました。そして無事旅から戻るとお守りの砂に旅先の砂を加え倍にしてお返しするという「お砂返し」の風習がありました。この御本殿下のお砂を混ぜた土で厳島神社の祭礼用の祭器が作られるようになり、神聖な御砂を使うことから「御砂焼」または「神砂焼(しんしゃやき)」とも呼ばれています。
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戸河内刳物
(戸河内刳物 横畠工芸)
起源は、宮島細工にあり、藤屋大助が江戸時代後期に創始したと伝えられており、大正時代初期に、福田李吉が宮島から材料の供給地である戸河内町(現:山県郡安芸太田町)に移住し、その技術を伝えたものです。
ノミ、鉋、柳刀等を用いた手作りのお玉杓子は「浮上お玉」として、愛用されています。
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戸河内挽物
(工房しんたく)
戸河内挽物は、明治時代の中頃に島根県から戸河内町(現:山県郡安芸太田町)に移住してきた石田富次から木地及び漆塗りの技術が伝えられたものです。当時は木地師と塗師の分業制で漆器の生産が盛んに行われていました。
ロクロで木材を回し、刃物で削り出した木工品で、漆を塗ることもあります。
カンナ(刃物)の切れ味により、表面は滑らかで光沢を放っています。
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備後絣
(備後絣協同組合)
今から約160年前、富田久三郎氏により備後地方(広島県東部)で絣(かすり)の技術が創案されました。当初は家庭で副業とされておりましたが、昭和30年代には機械化、分業化が進み、備後絣は地場の主要産業へと発展しました。
最盛期には、全国絣生産量の70%を占めるに至り、久留米絣、伊予絣と共に「日本三大絣」の一つとして全国へ知られるようになりました。
絣は先染め織物で経糸(たていと)あるいは緯糸(よこいと)を束ね、模様となる部分を糸でくくり、藍などの染料で染めます。くくられている個所が模様の元となり、経糸、緯糸を織ることで多様な模様が生み出されます。
備後絣は20以上の工程を経て丁寧に作られ、これらはすべて熟練した職人たちの根気と熱意により現在まで受け継がれてきました。
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- トップページ 備後絣の紹介 (kasuri.or.jp)(外部ページ)
ひろしま鯉のぼり
(ひろしま鯉のぼり)
広島県伝統の「おおたけ手すき和紙の里」の手すき和紙を使い、全ての工程を手作業で作り上げるこの鯉のぼりは、手すき和紙の優しい風合いとダイナミックで鮮やかな筆づかいが魅力です。このような鯉のぼりは日本全国でも数えるほどと希少であり、文化的要素が高くアートとしても楽しめます。
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- ひろしま 鯉のぼり (amebaownd.com)(外部ページ)
広島針
(萬国製針株式会社、チューリップ株式会社)
広島針の製造の歴史は、遠く三百数十年前、藩主浅野家が、下級武士の手内職として普及させたことに始まります。以来、品質の向上や製造の効率化などを図り地場産業として名を知られるようになりました。
広島湾に注ぐ太田川の上流50キロの中国山地の「加計」(現、山県郡安芸太田町)は、江戸時代には、中国山地の大砂鉄地帯に位置する出雲と並ぶ芸北地域の「たたら製鉄の中心地」でした。そして、太田川の水運を使って必要な物資を諸国から集めるとともに「たたら製鉄」により製造された鉄を広島に送る集積地として繁栄を極めてきました。広島針はこのように加計の砂鉄を原料に「たたら製鉄法」によってできた鉄を太田川の水運を利用して、現在の広島市に運び、そこで針として加工することで発展してきました。
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- 萬国製針株式会社|BANKOKU NEEDLE|針一本一本が「幸せ」という世界品質を届けます。 (bankoku-needle.co.jp)(外部ページ)
- 広島針の製造・販売はチューリップ株式会社 - Tulip Company Limited - (tulip-japan.co.jp)(外部ページ)
TOHOBEADS
(トーホー株式会社)
TOHO BEADSは、オートクチュールのドレスなどで使われている高品質なグラスビーズを、手芸クラフトのお客様に気軽に使っていただきたいというコンセプトで発売された商品です。
小売店での販売形態は、小さなパッケージとすることで、店頭の少ないスペースでも、様々な色合いを見て購入していただけることが特長です。
自社開発の技術を用いて、安佐北区大林の広島工場で一貫生産された、形状や色の正確性、耐久性に優れたグラスビーズです。
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- TOHO BEADS(外部ページ)
広島漆芸
(漆芸作家 高山尚也)
素地に木を使わず、石こうで型を作り、布を漆糊で張り重ねたものを素地にする、「乾漆」という技法を用いました。注ぎ口から本体への曲線は、木の漆器では決して表現できない、滑らかな流線形を描きます。漆器の常識を覆した漆器であり、「広島漆芸」と呼ばれる所以です。軽くて薄く、かつ丈夫で、乾燥に強いのが特徴です。
塗りは、一日が終わり、夕日が沈みゆく「宵時」をイメージしました。朱の漆の上に、透明感のある、赤呂漆を塗り重ねる「溜塗り」という技法を採用。酒器ですから酔いとかけて、「よい」と命名しました。漆はおよそ50年という年月をかけて乾燥していきます。時間が経つごとに漆がしまり、使えば、使い込むほどに、艶やかさをまとう逸品へ成熟していきます。
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- 広島漆芸作家 高山尚也 / NAOYA TAKAYAMA(外部ページ)
たたら製鉄と日本刀
(広島県刀職会(三上貞直日本刀鍛錬道場))
玉鋼なくして、日本刀なし――。玉鋼から生み出される日本刀は、人類最高峰の鉄の芸術です。
日本刀は、日本古来の製鉄技法「たたら」でつくる玉鋼(たまはがね)を鍛錬した世界でも稀な美術工芸品です。硬軟二種の鉄を合わせて鍛え、焼き入れして生まれる刀は、丹念な研磨により刀身に繊細な刃文や地肌が現れます。名刀をヒーローとして描いたアニメがブームとなり、若い女性鑑賞者が急増しています。
広島県北部を含む中国山地は、鉄の原料となる砂鉄産地として1200年以上の歴史を刻み、高炉製鉄が始まる130年前まで日本最大の製鉄地帯でした。今もただ一か所、日本刀技術を維持するため、島根県奥出雲町の「日刀保たたら」で砂鉄と木炭による玉鋼製造が受け継がれています。
展示作品を製作した三上貞直、久保善博の2人は広島県無形文化財保持者に認定された日本を代表する刀匠です。三上刀匠は作刀の傍ら村下(むらげ=技師長)代行の要職にあり、久保刀匠もかつてともに働いた経験者です。
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- 刀剣博物館 (touken.or.jp)(外部ページ)